
日本や中国には「医食同源」「薬食同源」という言葉があり、食が健康を大きく左右することを示しています。
「食養生」という言葉もあり、これも食が健康に与える影響の大きさを表しています。
これらはきわめて東洋的な概念のように見えますが、徹底した西洋合理主義の国に思えるアメリカにも、「食養生」に似た世界が存在しています(※)。
今回は「アメリカの食養生の専門家」の話です。
「ドクター(Dr.)」というと多くの日本人は医師を連想するでしょうが、厳密にいえば医師以外でも、どんな分野であれ「博士」と呼ばれる人は「ドクター」です。
化学博士もドクターですし、経済学博士も文学博士もドクターです。
ですのでアメリカ人の医師のなかには単純に「ドクター」と呼ばれることを好まず、
「メディカル・ドクター(MD)」と呼ばれることを好む人が少なくありません。
「メディカル・ドクター(MD)」とは、大学で正規の医学の勉強をし、国家試験に通った人のことです。
ここで言う「正規の医学」とは、我々日本人の観点でいうと「西洋医学」になります。
「西洋医学」の世界では、治療といえば今でも投薬などが中心で、「食」の働きについてはさほど重要視されていません。
ところが西洋医学の本場アメリカにも、西洋医学らしくない専門家がいます。
「ナチュロパシック・ドクター(ND)」と呼ばれる人たちです。
栄養学やハーブの知識、アロマやヨガの知識、鍼灸の知識、アーユルベーダの知識などを活用し、クライアントの健康増進をサポートする専門家です。
「食」についての深い知識も持ち合わせており、
「何を食べるか」
「どのように食べるか」
をクライアントに指導することもしています。
「ナチュロパシック(Naturopathic)」という言葉は形容詞で、もとの名詞「ナチュロパシー(Naturopathy)」から来ています。
ナチュロパシーを日本語に訳すのは難しいのですが、あえて訳せば「自然療法学」といった感じです。
栄養学やハーブの知識、食の知識があるという点で、ナチュロパシーは「アメリカの食養生」だと言えるでしょう。
ナチュロパシック・ドクター(ND)のところに来るのは、
「病気を治したいが、(投薬中心の)西洋医学には頼りたくない人」
「病気ではないが、専門家の力を借りて健康増進や病気予防をしたい人」
こんな人たちです。
ナチュロパシック・ドクター(ND)は公的資格です。
メディカル・ドクター(医師)になるのが簡単ではないのと同様、ナチュロパシック・ドクター(ND)になるにも簡単ではありません。
メディカル・ドクター(医師)になるには専門の学部で6年間みっちり勉強(および実習を経験)したあと、医師国家試験を受けなければなりません。
同様に、ナチュロパシック・ドクター(ND)になるには専門の学部で6年間みっちり勉強(および実習を経験)したあと、認定試験を受けなければなりません。
つまり、かなり勉強しないとナチュロパシック・ドクター(ND)にはなれないのです。
言いかえれば、信頼性の高い資格だということになります。
ただしナチュロパシック・ドクター(ND)を認定するのは連邦政府ではなく州政府です。
州によって、認定しているところと、認定していないところがあります。
ここが、メディカル・ドクター(医師)の資格との違いです。
州資格ではあるものの公的な資格であり、前述したような相当量の勉強を要求されるナチュロパシック・ドクター(ND)。
彼らに対してアメリカ国民が抱いている尊敬の度合いはかなり高いもののようです。
その証拠に、フルタイムで仕事をしているナチュロパシック・ドクター(ND)の年収は、アメリカ国民の平均年収の3倍以上だと推定されています。
ナチュロパシック・ドクター(ND)になるための大学の数はまだそれほど多くありませんが、増えてきています。
なかでも以下の大学が全国的に知られています。
* サウスウェスト大学:アリゾナ州のフェニックスにあります。
* バスティーア大学:ワシントン州のシアトルにあります(イチロー選手がいる、シアトルです)。この大学は連邦政府がかつて予算を拠出していたことで有名で、日本人学生も少なくありません。
ナチュロパシーに興味のある方、いちどシアトルのバスティーア大学を訪ねてみては如何でしょう?
キャンパス全体が癒しの空間のようになっており、なかなか気持ちの良い場所です。
西洋医学の本場、合理主義の国アメリカで、なぜこうした東洋的な「食養生」の専門家が公的資格として存在しているのでしょうか。
これは、この国がさまざまな文化の融合した多様性の国であることを考えると、理解することができます。
たとえばアメリカはステーキなどを好む肉食の国だとしばしば言われているにも関わらず、一方でベジタリアニズムに基づいた食事をする人の数は、おそらく日本よりたくさんいます。
(ベジタリアンであることを自称するアメリカ人は、1000万人を超えると言われています)
たとえばアメリカは食生活の乱れている国だとしばしば思われているにも関わらず、食育に関する取り組みは日本よりずっと早くから連邦国家レベル、州政府レベル、コミュニティレベルでさまざまなものが行われています。
つまりアメリカは多様性の国であり、単純な概念でとらえることはできないのです。
◆◆◆
2年にわたり執筆させていただいたこの「アメリカ食通信」も今回が最終回です。
アメリカの食ビジネスについて語ろうとするとまだまだ話題は尽きませんが、いつかまた、続きをお話する機会を待ちたいと思います。
ご愛読ありがとうございました。
(※)ナチュロパシーとは別に、英語には「Kitchen Pharmacy(台所薬局)」という言い方があり、「薬食同源」と訳すことができそうです。

- 2010/12/17 アメリカ食通信Vol.11 アメリカの食養生「ナチュロパシー」
- 2010/10/20 アメリカ食通信Vol.10 じつは観光名所? ホールフーズ・マーケットの楽しみ方
- 2010/08/23 アメリカ食通信Vol.9 CSA (Community-Supported Agriculture)
- 2010/05/28 アメリカ食通信Vol.8 アメリカの食育
- 2010/01/22 アメリカ食通信Vol.7 「中食」と「内食」のはざま
- 2009/11/11 アメリカ食通信Vol.6 地元で作られたものを食べる人
- 2009/09/11 アメリカ食通信Vol.5 マーケティングの国のワイン
- 2009/07/13 アメリカ食通信Vol.4 パワーフードを生み出す国アメリカ
- 2009/05/11 アメリカ食通信Vol.3 多民族国家の料理創造力
- 2009/03/12 アメリカ食通信Vol.2 農業を「経営すること」をアメリカに学ぶ
- 2009/01/09 アメリカ食通信Vol.1 大統領の食卓