
渡米で学んだこと
いつの時代にも、どこの国にも、型破りな天才がときおり登場します。アルキメデスやダ・ヴィンチ、先日亡くなったアップル創業者のスティーブ・ジョブスもそうでした。では近代日本で型破りな天才とは誰でしょうか。考え方はいろいろありますが、福沢諭吉もその一人であるのは間違いないでしょう。
学者にして教育者。慶應義塾大学創設者にして時事新報創刊者。男女平等論者にして居合の達人。一万円札の人。
型破りな天才の多くは、行動力にも満ち溢れています。諭吉は1860年に初めての渡米を果たしました。2年後には渡欧も果たし、後に2度目の渡米までしています。諭吉は欧米での生活をおおむねとても満足していたようです。とくに食生活に関しては、帰国後も朝食にパンとコーヒーを好んだほど。
諭吉はアメリカでおおいに飲んで食べました。その様子は、彼が残した多くの著書から読むことができます。
アメリカンビール転換期に、飲む
1853年、マシュー・ペリー代将率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が江戸湾浦賀に来航しました。この瞬間から日本は蜂の巣をつついたような大騒ぎになります。
開国か攘夷か、倒幕か佐幕か。
当時の生活・文化・思想までも巻き込んだこの騒動で、太平の世にのほほんとしていた日本は一気に動き始めます。幾多の傑物が現れては散る激動へと突入していったのです。
黒船来航から7年後、勝海舟を指揮官とした咸臨丸は日本を飛び出してアメリカに渡りました。ジョン万次郎や若き日の諭吉たちを乗せた咸臨丸がサンフランシスコに到着したのは1860年3月17日。
蒸気船を初めて見た日から、たった7年で日本人クルーによる太平洋横断が成功したことを、諭吉は世界に誇りました。
諭吉はそもそも『食』に強い関心を持つ天才でした。食べることが大好きで、我が子育てにおいても「養育法は着物よりも食物の方に心を用い、粗服は着せても滋養物はきっと与えるようにして」と書いています。そんな諭吉にとってアメリカの食文化は驚きと感動の連続だったことでしょう。お酒も大好きだった諭吉はアメリカで初めてのビールを飲みます。
「是は麦酒にて、その味至て苦けれど、胸膈を開く為に妙なり。亦人々の性分に由り、其苦き味を賞翫して飲む人も多し」 その喉越しにすっかり満足してしまった諭吉は、すぐにビール党となります。晩年、健康のためにアルコールを控えたときも、晩酌のビールだけは欠かせなかったそうです。
ちなみにこのとき、アメリカではビールが大きな転換期を迎えていました。現在、世界で飲まれているビールはラガーが主流ですが、19世紀はエールが主流でした。上面発酵のエールビールは常温の短い時間で発酵し、下面発行のラガービールは10℃以下の低温で長時間発酵する必要があったからです。しかし1856年、世界初の実用型冷蔵庫がビール業界に浸透すると、またたく間にブームはエールからラガーへと移ります。諭吉が渡米した1860年は、まさにエールとラガーが歴史的交代劇を繰り広げている真っ最中だったのです。
諭吉を魅了したのはエールかラガーか。
幕末にまた一つの謎が生まれましたね。
1200年ぶりに解禁された『牛肉のすすめ』
アメリカに渡った諭吉は、まずその圧倒的な物量に驚きます。産業においても日常生活においても、幕末志士の目にアメリカはとても豊かな国と写りました。しかしそれ以上に彼を驚かせたのが非身分社会だったのです。家柄と個人が直接結びつかないアメリカ社会は、諭吉を興奮させました。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」
著書『学問のすすめ』で書かれた有名なこの冒頭は、アメリカでの生活が大きく影響したといわれています。
ときはあたかも幕末。日本では外国人排斥を訴える攘夷論が高まりを見せる中、渡航先で使節団と共にホテルの食堂へ入った諭吉は言います。
「食堂には山海の珍味を並べ立て、いかなる西洋嫌いも口腹に攘夷の念はない」
口腹とは飲食のこと。もとより攘夷論者でなかった諭吉は、洋食の御馳走を前にユーモアを交えながら自論を説いたのです。
帰国後の諭吉はあらゆる面で日本をリードしていきます。面白いのはその中に『肉食の普及』があったこと。当時の日本では7世紀後半に天武天皇が肉食の禁止を発令して以来、なんと1200年間も牛肉を食べることが禁じられていました。それでも食べたい市民は、幕府に隠れて食べるしかありません。農耕具の鍬や鋤を鉄板として、こっそり焼肉していたのです。現在の『すき焼き』はこの鋤焼きが語源という説もあるくらいです。
それが1871年には明治天皇自らが牛肉を試食し、広く国民にも解禁されました。この決断の影には、諭吉の影響が強くあったといわれています。そして諭吉にそれをさせたのは、アメリカで食べた牛肉の美味しさだったのでしょうか。
オールラウンドに先見性を持った天才、福沢諭吉。
彼はアメリカで平等を学び、帰国後に教育の重要性を説きました。創設した慶應義塾の食堂には早い時期からパン食が導入されています。パンの耳を残した学生に「滋養豊かなパンの耳を食べずに捨てるのか」と諭吉は叱責したそうです。
我々も今後は残せませんね。パンの耳。
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