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オレゴンと日本



オレゴンからシェフや農家を連れてきては、日本のシェフや農家との親睦を深めるため「畑から食卓まで」ディナーを開いている、ステイシー・ギブンズというオレゴンのシェフ・ファーマーがいます。ステイシーの日本への訪問はオレゴン州ポートランドにある彼女の農園Side Yard Farmに影響を及ぼしただけでなく、ポートランドのシェフ・ファーマーたちが日本の野菜やハーブを作るようになるきっかけを作ったともいえます。このステイシーの話とポートランドのクラフトビール作りの話から、オレゴンと日本の農家の協力関係を紹介した記事がありますので、翻訳してご紹介することにしました。


オレゴンの生産者が日本とコラボする理由
オレゴンの農家と日本の農家が協力しあと、新鮮なアイデアが生まれる。

テリー・カルサーズ
2017年9月28日


日本とオレゴンの交流が始まったのは、今から200年近くにさかのぼります。1853年マシュー・ペリー提督の日本来訪よりも古いという話さえあるほどです。今日では、日本はオレゴン農家のナンバーワンの顧客であり、日本で消費される小麦の半分はパシフィック・ノースウエストから届いています。

「日本にはオレゴンとの間に、とても長く強い歴史を持っています。日本は、生鮮および冷凍の果物や野菜を含むオレゴン産の食品・農産物のトップの輸出国です。さらに、最近はオレゴンのクラフトビールに加えて、新しく市場に参入したクラフトサイダーなどのクラフト飲料も輸出しています」と、オレゴン州農務省トレードマネージャーのテレサ・ヨシオカ氏は語る。
「日本の消費者は最高品質の生産物を求めます。そしてそれこそがオレゴンが生産しているものなのです」

ヨシオカ氏いわく、アジアのバイヤーは概して、会ったこともない企業に発注書をメールで送ったりはしません。彼らはビジネスを始める前に、会社の外で会って関係を深めることを好みます。


根づいた関係

The Side Yard Farm & Kitchen日本とオレゴンの特別な関係は双方の国内で広く知られるようになり、いくつかのクリエイティブで美味しい料理のコラボレーションを生みだしました。ポートランドで都市型農場とケータリングの会社「The Side Yard Farm & Kitchen」を経営するステイシー・ギブンズ氏は、日本人カメラマンが農場に訪れたのをきっかけとし、約5年前に日本の農家やレストラン経営者と仕事を始めました。それ以来、ギブンズ氏は日本人旅行客や農家を招いたり、日本に行き農場を訪れて「seed-to-table(種から食卓まで)」と銘打ったディナーやイベントを開催したりしています。

「最初に日本に訪れた時、私は4軒の農場をまわりました。農家の方々にお会いし、彼らが育てた農産物を使って料理をする機会に恵まれました。パン屋さんや牧場主やチーズ生産者の方たちともお会いしました。収穫のお手伝いもしたんですよ」とギブンズ氏。 「彼らの生産に対して、真剣に向き合おうとする姿勢は、本当に美しいです」

ステイシー・ギブンズ氏現在、ギブンズ氏は年に一度は、他のファーマーや料理人を連れて日本を訪れています。
「私たちは、トラベルポートランド協賛のこのツアーを『種からお皿までツアー』と呼んでいます。毎年秋の収穫シーズンが終わってすぐに開催しています。毎年別のファーマーかシェフあるいは、ワインメーカーやブリュワリーなどの飲料業界の方に同行してもらっています」とギブンズ氏。「私達は日本の真ん中の小さい町で、『畑から食卓まで』イベントをやります。それはどこでもかまいません。肝心なのは農家の方とお会いして、彼らの作った農産物を使い、技術や種を共有しあうこと、つまり繋がりあうことなんです」

ギブンズ氏は、日本からもってきた種を植えてメニューに使っています。 「私達は日野菜蕪という美しい蕪を使用しています。長くて細く、まるでオレゴンの人参のようなサイズ、半分が紫色でもう半分が真っ白です。葉っぱの部分も美味しいんですよ」とギブソン氏。 「春菊という菊の種類も育てています。人参の葉っぱ部分のような味がして、しかも美しい花が咲きます。その花も食べられるんです」


ボーダーレスな醸造家たち

東京のTaprom NWのオーナーであるサトミ・コマザキ氏がCulmination Brewingの赤いビール Kara Sakuraのグラスを3杯を持っているところポートランドのカルミネーションブリューイング(Culmination Brewing)のトーマス・スルーター氏は「文化交流のコラボレーションは酒への情熱から始まった」と言います。

「私は日本の食、文化、そしてsake(日本酒)の10数年来のファンです」とスルーター氏。「私はビールの醸造家で、ジョン・ゴーントナー氏のプロフェッショナル向けsake教室に通いました。その後、さらにsakeの知識を深め、そのうちビールやsakeの醸造ができる醸造所をオープンさせるのが目標となりました」

sakeの醸造所をオープンさせるより前に、スルーター氏は赤米やゆずといった日本の味を取り入れたビールに挑戦しました。その取り組みは、日本の醸造所やディストリビューターの目に留まり、まもなく日本の醸造会社と協力して、日本でポートランドのビールを生産し、販売するようになりました。

伊勢角屋麦酒から特別な酵母を送ってもらい、共同開発しました」と語るスルーター氏。「酵母は伊勢神宮の木から分離されたもので、その酵母でウィットビール(ベルギービール)種のビールを醸造しました。このビールには、神道で拝められている女神の名前をとって「アマテラス」と名づけました。このビールは素晴らしいできばえで、ポートランド(と日本で)発売しました」

「私が体験したこのような話を友人や家族にし、また体験通して生まれた製品をポートランドに持ち帰ることで、文化は単独のものではないと誰もが理解できるのです。旅行をしていろいろな国の人と出会ったら、私たちはみんな同じ人間で、食べることが好きで、友人を愛し、一緒に飲んで乾杯しあうのが好きだということに気が付きます」
そして、「もっと多くの人々がこのことに気が付いたら、もっと世界は良くなるでしょう」











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