1776年7月4日、それまでイギリスに統治されていた北アメリカ大陸の13植民地が独立を宣言します。
このとき、世界にアメリカ合衆国が誕生しました。
それから200年以上が経った現在でも、アメリカ合衆国の国民たちはこの日を大切にしています。各家で星条旗が掲げられ、各地でパレードが行進し、夜になると盛大な花火が全米各所で上がるのです。なぜこれほど、200年以上も継続して盛り上がれるのでしょうか。その理由を探るため、独立前後の出来事を少し紹介しましょう。
それから200年以上が経った現在でも、アメリカ合衆国の国民たちはこの日を大切にしています。各家で星条旗が掲げられ、各地でパレードが行進し、夜になると盛大な花火が全米各所で上がるのです。なぜこれほど、200年以上も継続して盛り上がれるのでしょうか。その理由を探るため、独立前後の出来事を少し紹介しましょう。
1760年代、イギリスはアメリカ植民地に対して高い関税を課していました。植民地を巡るフランスとの長い戦争によって、イギリスは財政危機に陥っていたからです。まず1764年に砂糖が、翌年には印紙が、そして1770年には紅茶が対象となり、それらは高い関税にも関わらず必要以上に買わされていました。
1773年、ついにその怒りが爆発します。ボストンに入港した船の茶葉を、暴徒が海へと廃棄してしまったのです。いわゆるボストン茶会事件です。ボストンはその後もイギリスに反抗し続け、イギリス軍とボストン民兵の間では幾度とない衝突が繰り返されました。1775年4月、ボストン北西のレキシントンとコンコードで軍と民兵が激しく衝突し、これが事実上の独立戦争の始まりといわれています。
13植民地の代表者たちによる大陸会議が何度も開催され、1776年6月には独立宣言起草委員会が発足。のちに第3代大統領になるトーマス・ジェファーソンが中心になって書き上げた宣言案は大陸会議に提出され、そして7月4日にアメリカ独立宣言は採択されました。


~~~われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の諸権利を付与され、その中に生命、自由および幸福の追求のふくまれることを信ずる。また、これらの権利を確保するために人類の間に政府が組織されること、そしてその正当な権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる~~~
人権と平等を高らかに謳い上げたこの宣言は、今も国民がアメリカを誇る一つの根拠的な存在になっています。
宣言後、本格的に突入した独立戦争において、じつはアメリカは不利といわれていました。単純に兵力を比べるとイギリスが圧倒していたからです。実際に独立宣言翌月の8月にはイギリス軍によってニューヨークが占領されています。しかし広大な国土が徐々にイギリス軍の体力を奪い、そして1778年にはアメリカと同盟を結んだフランスが参戦したことで状況は変わりました。1782年にイギリス議会が停戦を決議すると、翌1783年9月にはイギリスがアメリカの独立を承認するパリ講和条約が結ばれます。
条約締結の様子は絵に残っていますが、イギリスはよほど悔しかったのかポーズを拒否し、その絵にはイギリス使節団だけが今も空白のままです。


人権と平等を謳い、圧倒的な不利を戦い切ってアメリカ合衆国は誕生しました。その想いとドラマを誇り、感謝する。それが独立記念日を大切にし続ける大きな理由なのではないでしょうか。

