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1810年720万人から1900年7600万人への人口激増



USDAマークアメリカ合衆国農務省とは、そもそもどんな組織でしょうか。
一言でまとめるなら「アメリカの農業政策を司る官庁」となります。では「日本の農業政策を司る官庁」である農林水産省のようなものかといえば、そういうわけでもありません。
アメリカ合衆国の数ある官庁において、軍関係を除き最大規模なのが農務省です。歴代農務長官の多くは後にアメリカ合衆国大統領となりました。なぜ農政を司る官庁がこれほど重要な存在になっているのでしょうか。その背景には、アメリカ建国以前から今日までの時代の流れが大きく影響しています。

種まき1641年までにイギリスから北アメリカへ渡った入植者は7万人でした。入植者はその後も増え続け、イギリス以外の入植者や自然増加も合わせると1776年の独立宣言時点でその総数は300万人、1810年には720万人にまで増加しています。18世紀後半には増える人口と農地不足の問題が懸念され、新生アメリカはその建国時から食糧確保が大きな問題だったのです。


果実の入った籠をもつ娘この問題解決に大きく貢献したのがアメリカ合衆国特許庁初代長官のヘンリー・リビット・エルスワースでした。弁護士でありながらエール大学で農業を学んでいたエルスワースは、長官に就任するとすぐにチームを編成して農業や畜産に効果的な新品種を集めます。1839年には特許庁内に農務部門を設置し、熱心に農業促進レポートを書き続けた彼は『農務省の父』と呼ばれました。そして1862年、リンカーン大統領によって農務省は独立します。
効果的な新品種を配布し、育成方法を指導するなど、初期農務省は農家支援や農業指導に尽力しました。1900年にはアメリカ合衆国の人口が7600万人を突破。エルスワースとリンカーンの判断は、まさにぎりぎりのところでアメリカの食糧問題を救ったのです。


写真提供:USDA




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