1959年9月26日に潮岬へ上陸した伊勢湾台風は、北東へ大きな弧を描くように日本列島を蹂躙していきました。西日本から東日本にかけて甚大な被害をもたらしたこの台風により、山梨県もまた大きな傷を負います。直前の台風7号ですでに大きく傷ついていた山梨県にとって、それはあまりにもひどい仕打ちでした。
このニュースを聞いたアイオワ州のリチャード・トーマスは、地元の仲間たちに山梨の復興支援策を持ちかけます。太平洋戦争後、日本に駐在していた経験を持つリチャードと有志たちの尽力によって、翌年には35頭の豚と1.5トンの飼料用とうもろこしが山梨県に届けられました。このとき山梨県とアイオワ州は正式に姉妹州・県となったのです。
山梨の畜産農家たちは、届いた豚を見てまず驚きました。
その豚は、これまで見たこともないほど丸々と太って大きかったのです!
なぜこれほど大きくなるのか。答えは、豚と共に届けられた飼料用とうもろこしが教えてくれました。日本では豚に残飯を与えていたのに対し、とうもろこしを与えられた豚はより大きく、肉質も甘み豊かで柔らかく育ったのです。
これは日本の畜産農家にとって非常に有益な情報でした。同時に、アメリカとしても予想外の嬉しい出来事が起こります。感激した日本の畜産農家が継続して飼料用とうもろこしを輸入したことにより、『飼料穀物の輸出』が有益なビジネスコンテンツであることを気づかせてくれたのです。きっかけは純粋な善意だったのに、気がつけば日米関係にウィンウィン(双方有益)なビジネスモデルができました。
その豚は、これまで見たこともないほど丸々と太って大きかったのです!
なぜこれほど大きくなるのか。答えは、豚と共に届けられた飼料用とうもろこしが教えてくれました。日本では豚に残飯を与えていたのに対し、とうもろこしを与えられた豚はより大きく、肉質も甘み豊かで柔らかく育ったのです。


「英語に『豚が空を飛ぶとき...』という表現があります。『そんなことはあり得ない』という意味ですが、1960年、実際にそれは起こりました』(ローリー・エリクソン)
空を飛んできた35頭の豚を、山梨県の畜産農家たちは大切に増やしていきました。さらなる品種改良を加え、いまそれは『フジザクラポーク』という山梨のブランド豚として愛されています。そしてフジザクラポークだけでなく、国産として現在流通している豚肉のほとんどに、35頭のDNAは引き継がれているのです。
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